コロンブスの新大陸発見によってアメリカ大陸からもたらされた「新作物」は、ヨーロッパの農業に大きな影響を与えた。ジャガイモ、トマト、トウモロコシ、トウガラシ、サツマイモ等といった作物は、実は全てアメリカ大陸からもたらされた新品種であった。だがその生産量は少なく、結局庶民はライ麦パンや塩漬け肉やベーコンの切れ端と野菜くずを、チーズや乳製品で煮たもの、つまりポタージュ・スープやクリーム・シチューの原型を...
第3章、産業革命と農業革命記事一覧
ジャガイモが、ヨーロッパの飢餓を救ったそしてジャガイモに至っては「救荒(きゅうこう)作物」とまで呼ばれ、相当の荒れ地でも栽培が可能な作物であった。救荒作物とは、凶作や飢饉を救う作物と言うことである。イギリス領の断崖絶壁の孤島でも、他の作物はできないがジャガイモだったら栽培できる。昆布(ケルプ)などの海草と薪の灰を混ぜたモノを肥料として、土とは言えないような土でジャガイモを栽培している所をテレビで見...
産業革命の影響はもちろん農業にも大きな影響を与えた。それまで人力で行わなければならなかった耕作も、蒸気機関を利用した様々な機械によって行えるようになった。それはもちろん現在のような細かな作業には向かなかったが、少なくともしっかり田畑を耕し、かなり深いところまで大地を掘り返す事ができた。大地を深いところまで掘り返せるようになったくらいで一体何が変わるのだ、なんて思ったりもするが、実はカブやダイコンと...
18世紀のヨーロッパは、商品経済が徐々に発展して行った時代である。地理上の発見(大航海時代)によって中近東や東洋の様々な産物を、以前とは比較にならないくらい容易に手に入れることができるようになったし、アメリカ大陸から渡来した荒れ地でも育つ貴重な新作物(ジャガイモやトマトやトウモロコシ)が普及していったから、取り引きされる商品の種類や数量が何倍も増えた。だから商品経済が発達しだしたのである。そうして...
産業革命というのは、現代に生きる我々にとっては何がスゴいことなのか、かなりわかりにくい。なぜ人々はそんなに資本を集中して金儲けに狂奔し、そしてそれがなぜイギリスだけに留まらず、徐々に全世界に広まっていったのか。不思議な話である。だが我々はよく錯覚を起こす。今の人間も何百年前の人間も、同じ前提と同じ価値観で行動しているようなそんな間違いをすぐ犯す。パソコンを毎日のように使い、インターネットを情報源と...
中世とは言わずと知れた「身分制社会」であった。農家の子供は農民に、貴族の子供は貴族に、と生まれた家によって人間の将来は殆ど決まっていた。そしてそれと同様に世界は神や君主によって「決められたもの」であり、「与えられたモノ」であった。「神様がこう言ったからこうだ」「領主がこう決めたからこうだ」そう言う風に神父や領主が黒と言ったら、たとえ白でも黒だと言わなければならない。つまり世界は「変更不可能なモノ」...
ところが東方航路が確立し、アメリカ大陸からの新作物が普及して商品経済が活発化したお陰で、様々な勢力が台頭しはじめた。胡椒などの香辛料や東洋のツボなど新奇なモノを運んでくる貿易商人たちは王様から様々な特権を獲得することに成功し、そして豊かな生活を送ることを許されはじめた。都市近郊の自営農家も金持ちになり、領主と対等にモノが言えるようになってきはじめた。江戸時代の日本でも豪商は苗字を持つことを許され、...
農業革命に大きな貢献をした学者を三人挙げろと言われれば、それはテーアとチューネンとリービッヒである。近代農業というのはこの三人の研究を基礎として発展してきた。だから知らなければ農業経済学では「モグリ」だと言うことらしい。大学のとある教官が授業でそう言っていた。テーアはドイツの医者。チューネンはその弟子。リービッヒは窒素・カリ・リン酸が農業生産を向上させる三大肥料であるということを発見した学者である...
テーアは農業は単なる野良仕事ではなく、農作を通じて社会に貢献し、貨幣を獲得するもの、つまり「産業」であるべきだと主張した。それは言ってみればプロテスタント的な「天職(calling)観」を農業にも当てはめ、それによって農民も幸せになるべきだという主張だったのかも知れない。が、そうしてテーアは先進的な農業技術を積極的に取り入れ、農業生産システムの大変革をすべきだとし、それを本にして著した。経済学はア...
日下公人さんの本に「学生の頃、産業革命が衣服の大量生産であると聞いて不思議に思った」という一節がある。そして「じゃあそれまでの人間は、衣服を着ていなかったのだろうか」と日下さんは考え、そして「服くらいが大量生産できるようになったくらいでなぜ革命なのだろう」と不思議に思ったという。「革命」とはその世界の有り様がガラッと変わってしまうことである。だからたかだか服が大量生産できるようになったくらいで、な...
封建領主がなぜ土地なし農民を農奴としてしっかり自分の領土に釘付けにしていたかと言えば、それまでの農業が人手を大量に必要とするモノだったからである。動力もなく大した機械もなかった頃には農業は人力に頼るしかなかったから、そうしてどうしてもたくさんの人手を確保しておかねばならなかったのだ。だがしかし農業技術が発展したおかげで、事情が変わってきた。三年に一度は休ませなければならなかった土地で作物ができるよ...
産業革命の進展に伴い、イギリスでは殆どの農地が「大農場経営」で運用されるようになった。だから産業革命に刺激を受けたドイツのテーアも「農業は全て輪栽式経営にすべきである」という意見であった。だがテーアの弟子であり後継者であったチューネンは師の意見に賛同せず「農地の利用は消費地への運送コストによってそれぞれ別の利用法で運営すべきである」と主張し、著書・孤立国で「チューネン圏」という最適土地利用の分布形...
そういうわけで大航海時代を経て東洋の珍奇な産物がヨーロッパに持ち込まれ、アメリカ大陸からはジャガイモやトウモロコシ、トマトなどの荒れ地でも育つ新作物が導入された結果、ヨーロッパでは食糧の増産が可能になった。そしてさらに動力革命がおこり中耕作物の生産が容易になり、テーアやチューネンが産業としての農業を確立し、リービッヒが「三大肥料(窒素肥料・カリ肥料・リン酸肥料)」を発見した結果、ヨーロッパの農業は...





