第6章、農地改革と食糧自給率記事一覧

昭和16年から始まった米穀の政府による買い上げと小作奨励金の制度は、敗戦後の農地改革後も続けられた。この制度は、小作が穀物生産に励んでも地主に高い小作料を支払わねばならいために生産に対するインセンティブが失われないように導入された。当初は地主に支払う米価と小作に支払う米価は同レベルであった。つまり小作が米150kg作れば、政府は地主に30円・小作に30円支払うという風に米価が定められていた。そして...

けれど実はこのことが、潜在的な生産性の低下を生むこととなった。確かに「自作農創出法」で安く土地を買い自作農となった土地の生産性は「所有による生産性向上原理」で少しは高まったが、しかし全体としての潜在的な生産性は下がることとなった。というのもこれまでも述べてきたとおり、元々土地ナシ小作がなぜ土地ナシになったのかと言えば、経営能力が低かったからである。農作業はできても農業経営はできず、明治の地租改正で...

戦後の占領軍による農地改革によって、戦前の中農標準化によって達成された2−3ヘクタール規模の農業はズタズタになった。大地主でも1ヘクタール以上の所有は認められず、その結果日本の農業は0.5ヘクタール未満の狭い土地を家族だけで耕すという非常に非効率な生産を強いられることとなった。もちろん農地改革には、土地を耕さない不在地主から土地を取り上げ、地主が小作をこき使って儲けるという「東北型農業構造」を是正...

米の自給率が上昇するのとは対照的に、日本の食糧自給率は下がり続けた。カロリーベースでは1970年には60%だったものが1990年には47%まで下がり、穀物ベースではなんと80%(1960)から30%(1990)にまで急下降した。先進国と言われる国で、短期間にこれほど自給率の下がった国も珍しい。先進国と呼ばれる国でこれほど低い自給率も珍しい。と言うのもアメリカやフランスと言った農業国は言うに及ばず、...

食糧自給率を上げるには、選択肢は1つしかなかった。何しろ日本には、最大でも500万ヘクタールしか農地がないのである。だから小麦やトウモロコシなどの穀物を国内でいくらか自給しようとしたら、農家に米作りをやめさせてこれらを生産させるようにし向けなければならないはずである。だが、政府は米農家に対してブレーキを踏むどころかアクセルを入れっ放しにした。政府買い入れ米価には「不足払い制度」ではなしに、農工間隔...

考えてみれば戦後の食糧難の時代に米は貴重品であったから、人々はアメリカから送られてくる援助物資(メリケン粉=アメリカの小麦粉)でパンを作ったりウドンを作ったりして食べていた。小麦粉を水で練ってお湯の中に落とし、みそや醤油で味付けした「水団(すいとん)」のようなモノも、貴重な食べ物であった。戦後すぐに始まった学校給食でもパン食が採用されたし、お好み焼きやたこ焼きや餃子・ラーメンといった「粉食」が広ま...

1970年代以降、産業によって様々な環境破壊が引き起こされているという事実が、先進国の人々にハッキリ認識された。そして先進国では大気汚染や水質汚濁、振動・騒音・異臭などといった公害に対して様々な規制をしたり防止策が講じられた結果、ようやくその破壊にブレーキをかけることが可能になり始めた。だがしかしそれは主に重化学工業などによる環境破壊(公害)についての話であって、残念ながら農業による環境破壊は永ら...

農業は18世紀前後から、前近代的な伝統的農業から近代的な産業的農業に発展した。それはそれまでの伝統的農業の足かせであった「浅耕・少肥・かんがい排水不良」という問題を、様々な新しい動力や機械そして栽培技術(肥料研究・肥育研究)によって解決し、農業の生産量を飛躍的に向上させたことによって達成された。乾燥気候で雨の少ないヨーロッパではそれまで保水が農業の最大問題で、二年続けて作物を栽培するともう地力と保...